映画評:【来る】柴田理恵は良かった。
48点
同じく中島哲也が監督を務めた「渇き。」は、暴力やドラッグの描写が延々続く。しかし描き方に緩急がないので、いくら刺激的な映像を重ねられても全く心に響いてこない。そして残念ながら、今回の「来る」に関しても、僕は同じ事を思った。
原作は澤村伊智のホラー小説。第22回ホラー小説大賞を受賞した傑作である。
最初、劇場でこの映画の予告編を観た時は心躍った。原作小説を知っていたこともあるが、何よりも予告編がとても良く出来ていたからだ(といっても、予告編は1分15秒。世界観をキープしたまま、上手くごまかせることができる。ちなみに予告編というのは本編制作とは別の会社が製作するらしい)。
CMディレクター出身ということもあり、一場面ごとの映像の作り込みはとても上手い。だからオープニングのシーンまではワクワクした。が、本編が始まると坂道を転げ落ちるようにつまらなくなっていく。
映画はCMとは違う。ストーリーを構成し、人物を描写し、出来事の推移をたどる必要がある。中島監督は、根本的にそういう映画に必要な資質に欠けているのではないか。今回ホラー映画を撮ったことでよりそれが明らかになった気がする。
ホラー映画を作るには、基本的に普通に撮る必要がある。物語内のフィクションラインを上げないためだ。なるべく僕たちの居る日常に近い目線で描写を積み重ねていき、それが恐怖に繋がる。中島監督はそういう撮り方をしていない。何かインパクトのある色彩や衝撃を入れれば観客が怖がってくれると思っている(もし、中島監督がこの原作でホラーを撮ったつもりは無いと言い訳するなら、失望を禁じ得ない)。ただ怪奇描写を連ねても、荒唐無稽になるだけなのだ。
では、スプラッター映画やモンスター映画のような思い切りの良い舵取りが出来ているかと言うと、それもてんでダメだ。前半の家庭描写が長すぎるし、原作の持つ視点を切り替えてわかる新鮮な展開、という持ち味を全く活かせていない。特に原作小説で描かれる、少年時代の祖父との家の中でのエピソードは凄く怖くて良く出来ているのだが、本作ではただのこけおどしに留まっている。あえて評価するならば、そのシーンを映像化するにあたり、時代が過去であるのを表現するのに幽遊白書が巻頭の少年ジャンプを使ったのは良かったと思った。あと、これは映画を観た誰もが口を揃えて言っていることだと思うが、柴田理恵は良かった。
基本的に「渇き。」からの弱点は克服できていないと思う。
相変わらず、表面的な薄っぺらい映画だった。