きねぞう

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映画評:【メリー・ポピンズ リターンズ】コリン・ファーズがかわいそう。

 

公開中の「メリー・ポピンズ リターンズ」を早速鑑賞してきた。

 

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そもそも僕は前作の「メリー・ポピンズ」を一度も観たことが無い。完全に手ぶらで来てしまった訳だ。

 

 

前作「メリー・ポピンズ」で主人公だった男の子が父親になっているのだが、銀行へのローンが返済できないために、家を失おうとしていた。困窮する家族の元に再びメリー・ポピンズがやってくるという内容。

 

この映画で一番盛り上がる所は、中盤のロイヤルドルトンの陶器の世界に入っていく場面だと思う。陶器に描かれた絵の背景に、2Dアニメーション、そして実写の登場人物たちと、三つの質感世界が融合する場面はまさに出色の出来栄え。それぞれの色彩が主張しながらも統御され、矛盾するんだけど「心地良い違和感」みたいなものを引き出している。この一連のシーンは劇場で観ることが出来て良かった。

 

が、やはりこの場面のインパクトが強すぎるためか、それ以降の映画の勢いみたいなものは失速していく気がする。メリー・ポピンズの存在感も希薄になってゆく。

メリーポピンズの立ち位置も良くわからなかった。というより、置き所が難しいキャラクターだと思う。彼女は魔法で何でも出来てしまうのだから、家を失おうとしている主人公の家族を救うことは造作も無い筈だ。彼女がどこまで魔法の力で手助けをするのか、主人公たちはどこまで自分たちの力で問題を解決するのか、そのバランスが難しいと思うのだ。作り手の人たちもそこは苦慮したんじゃないのかな?

 

今回悪役である銀行の頭取を、コリン・ファーズが演じていたが、彼が何がしたかったのかも良くわからない。家を差し押さえたいのが目的なのだから、返済期限は過ぎているので実行できる筈なのに、5日の猶予を与えてしまう。そして、最後の描き方も可哀そうだ。好感度のある役者、コリン・ファーズだけに余計にそう映るのかもしれない。彼は小悪党にしか過ぎないし、もう充分罰は受けた筈なのに、主人公たちのいる世界からは締め出しを食らう。ディズニーの悪役への容赦の無さというのが、ルールを守らない部外者には冷徹になる、というある意味での怖さを感じてしまう。

 

そして、これは言っても詮無いことかもしれないが、弱者から金を巻き上げる銀行、みたいな悪役の図式は類型的過ぎてもう見飽きた。意地悪な言い方をすれば、こういう作品での、借りた金を返せない側の問題、というような批評的な視点は一切無い。政治家や銀行は常に悪者で、貧乏人や障がい者は清い心を持つ人物に描かれる。いい加減、こういう一面的な描き方は辞めて頂きたいところだ。それでも今回は銀行側にも心優しい弁護士が居るなど、ある程度のバランスは取れていたとは思う。

 

そして何より尺が長すぎる。上映時間が130分もあるのだ。いくつかのミュージカルシーンをカットし、物語の進行を手際よく描けば、あと20分は削っても本編に支障はない気がする。ま、前作は139分もあったようだから、これでもオミットした方なのかもしれない。しかし、どうしても後半はダレてしまう。

ラストのミュージカルシーンは余計だ。問題は解決し、物語としては終わっているのにそこから10分近くも続く。大人になった主人公が童心を取り戻す、という場面は、いわばファンサービスなのかもしれないが、それはクライマックス手前に持っていけばいい。子供の頃の魔法を信じる純粋な気持ちを取り戻した主人公が、クライマックスに向かって走り出してゆく、という筋書きの方が良い。子供たちの冒険や活躍は前半できっちり描けているからもう充分だ。昔、子供の頃にみた「メリー・ポピンズ」の映画体験を、大人達に再体験させてやるのがリターンズの存在意義の一つであるとすれば、後半は父親のエピソードをもっとストーリーの進行に組み込むべきだ。

 

やはり、全体的に物語の骨格は脆弱だ。映画で語るべきテーマを、ミュージカルと有機的に繋げて欲しい所である。

 

rating:55点