きねぞう

映画の感想や関連記事を載せていくブログです。

映画評:なぜ【ニュー・シネマ・パラダイス】はダメなのか。

 

感動の名作として名高い「ニュー・シネマ・パラダイス」だが、僕はどうしても評価できない。映画で語ろうとしいている「善きこと」に、とても賛同できないからだ。

 

これは時計の針が止まってしまった人達の話だ。過去の最も素晴らしかった時間の中に閉じ込められて、今を生きる事ができない人の物語である。主人公は映画監督として成功するが、彼の心は、いつもあの映画館に通い詰めた少年時代に囚われている。それを、俯瞰した視点から批評的に「こういう人いるよね」と寂しげに描くのではなく、いかにも美談として描いてしまっている。そこに、僕は心底げっそりする。

象徴的なのが、終盤、初恋の女性と車の中で再会する場面。お互い家庭を持ち、いい歳になっている。それにもかかわらず、車の中でおっぱじめてしまう……。既に二人は違う人生を歩んでいる筈なのに、再びこの二人をくっつけてどうする。いつまでその過去に執着しているのか。郷愁を超えた、過去の幻影に縋る姿に、病的なものさえ感じる。

映画館が閉鎖する場面もちゃんちゃらおかしい。町中の人々が廃館を惜しんで映画館の前に集まる。「テレビが台頭してきて、映画館は廃れてしまったんだ」とその中の一人が言うが、これがおかしい。じゃぁ、悪いのはお前らじゃん。お前らが映画を見限ってテレビを見始めたから廃館になったんじゃないの?  テレビが普及しようと、この町の人々が映画館に通って映画を観続けていれば、少なくともこの町の映画館は存続していたんじゃないの? と言いたくなる。それを、もうすぐなくなると知った途端に集まって感傷的になって……本当におめでたい連中だな。

で、この町の中の一人に知恵遅れの浮浪者みたいなのが居るんだけど、そいつが昔と変わらずに居ることに、変わらない良さみたいなポジティブな印象付けをこの映画は行おうとするんだけど。彼がずっとその町で同じような生活を営んでいることが、本当に良いことなのか、作り手の人たちはよ~く考えて欲しい。

良かったのは、序盤の、町の皆に映画をおすそ分けする場面くらい。映写機をくるりと回転させると、映し出された四角い小さな映像が、部屋の中を滑らかに移動し、やがて窓の外に出て白い家の壁にスクリーンとなって映し出される。この一連のショットは素晴らしかった。が、ここでも文句を言わせてもらえれば、この白い家がいかにもスクリーン向き過ぎて作為的なのが過剰に際立つ。もう少し上手く演出して欲しい。

 

37点

 

映画評:【隣人は静かに笑う】このラストは予測できなかった!

 

ずっと探していた幻のサスペンス映画「隣人は静かに笑う」をようやく観ることが出来た。どのレンタルショップに行っても見つけることができず、諦めかけていたところ、アマゾンプライムで配信しているのを見つけた。そして、この映画を観ることだけを目的に、アマゾンプライムのお試し期間30日とやらに入会し、この映画を観終わったから解約した。満足。

 

主人公は、大学でテロリズムの歴史を教えているマイケル。ある日、事故に遭った隣人の子供を助けたことをきっかけに、隣人のオリヴァーと家族ぐるみで親しくなる。しかし、オリヴァーが学歴を詐称していることに気づいたマイケルは、水面下で彼の素性を調べ始める。

 

74点

点数はそこまで高い訳ではない。かれこれ5年くらい探し求めていた映画のため、期待値が高すぎたのかもしれない。

が、充分面白い。もしこの映画の存在を知らず、午後のロードショーなんかで放映されていたのを何気なく観ていたら、もっと点数は跳ね上がっていた筈。

恐怖の隣人を演じるのはティム・ロス。名作「ショーシャンクの空に」で主人公アンディを演じた男である。あのさわやかで希望に満ちていた顔が一変し、中身が全くわからない未知のサイコパスへと変身を遂げている。

途中から隣人の正体がわかってしまうんだけど、それで終わらないのがこの映画の素晴らしい所。衝撃のラスト、と言われたラストに、少し強引だと思わなくもないけど、このタイプのエンディングは今まで観たことがないかもしれない。伏線の張り方も見事で、なかなか斬新である。

僕が映画の中で印象に残ったのは、中盤の、あるどきっとする場面だった。主人公の恋人が隣人の車を尾行し、スーパーの駐車場に車を停める。そして公衆電話から主人公に電話を掛けようとすると……という場面。緊張感をジェンガのように積み重ねて、積み重ねて…そしてあのシーン。心臓が飛び出すかと思った。この映画の白眉だと思う。この部分は5億点出てます。

 

映画評:【散り椿】最新版にアップグレードされたチャンバラは見物

 

定期的に時代劇を観たくなる時がある。劇場の予告編を観て、チャンバラの素晴らしさに圧倒された僕は本編も観たが、これが良かった。

 

75点

享保十五年。藩の不正を訴え出たために藩を追われた瓜生新兵衛。追放後も連れ添い続け、病に倒れた妻の篠は、死の床で最期の願いを新兵衛に託す。それは、新兵衛のかつての友にして宿敵であり、藩追放に関しても大きな因縁を持つ、榊原采女を助けてほしいというものだった。

 

かつて黒澤明の撮影助手を務めた経歴も持つ名カメラマン・木村大作がメガホンを取った本格時代劇。

出自がカメラマンであり監督としての経験が浅いためか、物語前半の進展は遅々としており変化に乏しく、登場人物の行動原理もあやふや。話運びや人物描写においては、残念ながら稚拙という表現をせざるを得ない。どうでもいいが、新井浩文が最初に登場する場面で、彼が棒読み過ぎると感じたのは僕だけか?

しかし、それらの欠点を差し引いてもなお有り余る魅力を本作は充分に湛えている。ズバリ、それは映像にある。江戸時代の風景という時代再現以前に、日本にもまだこんな光景が残っていたのかと感嘆させられるような、自然の雄大さと瑞々しさを美麗に捉えている。

そして本作の何よりの白眉は、主演を務める岡田准一の殺陣である。まさかこんなに殺陣が上手いとは思わなかった。彼の佇まいにも貫禄がある。時代劇というジャンルは、名作と呼ばれていても今観れば陳腐に思えてしまう作品が多い中で、この最新にアップグレードされたチャンバラはまさに見物。刀を交えた時の金属音も小気味よく、かつ重みを感じさせる。また、所々に格闘や投げ技を織り交ぜて相手を倒すのも素晴らしかった。他の侍たちがきちんと髪を結っているのに対して、岡田准一演じる主人公の瓜生は不精髭を生やした浪人の出で立ちなのだが、それだからこそ、彼の戦い方が道場剣術の型に囚われない、死線を潜り抜けてきた者が持つ野性的な強さの説得力を弾き出しており、そこにリアリティとフレッシュさを生んでいる。

榊原采女役の西島秀俊もなかなか良かったと思う。個人的にこの人は演技が上手くないと思うんだけど、役柄上あまり感情を面に出さないので、うまくごまかせていたと思う。岡田とのチャンバラも良かった。というか、映画を観終わった後も、ユーチューブとかでチャンバラシーンだけを何回も繰り返し観てしまうほど気に入ってしまった。決して良く出来た作品ではないんだけど、もう一度観ることになっても全然問題無いほどに好きだ。

映画を評価するスタンスとして、僕はどちらかというと脚本派なのだが、それを問答無用とばかりに圧倒的な映像でねじ伏せてくれた快作であった。

 

書評:松本人志の【シネマ坊主】を読んでみた!

 

一番好きな映画は何かと聞かれると悩む所だが、ワースト映画は常に決まっている。

松本人志監督作の「さや侍」だ。あらゆる方面で酷い出来であり、僕はこの作品を生涯忘れないだろう。そんな松本人志も、監督になる前に映画評論を出していた。1999年から2008年まで、日経エンタティンメントで連載していた「シネマ坊主」である。単行本として発刊された全3巻の内、今回取り上げるのは第1巻。

 

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謎の花が咲いているのは、図書館で借りた本だから(笑)。

 

「松本節」が随所にきいた内容で、評論は辛口傾向。しかし映画に対する評価の仕方は、意外と真面目。勿論、好き嫌いで「これはいい、これはダメ」と感覚的な部分はあるけど(それはそれで松本人志の映画観を知れて面白いし、読者の一番の興味はそこだろう)、映画に対してきちんと理詰めで捉えている所があって好印象。「こんな映画褒めるのか!」という評もあり、僕も今度観てみようと思う作品がいくつか出来たのも収穫。

「ライフ・イズ・ビューティフル」を激賞していて、10点満点をつけている。僕も大好きな映画なのだが、同じ高評価でも褒める所が異なっていて、勉強になる部分もあった。

 

しかし、登場人物のコスプレをしてスターウォーズを観に行く観客に対して苦言を呈する部分には、僕は反論したい。少し長くなるが、引用する。

 

“彼らは映画を見終わったら、絶対に「おもしろかった」と言いますからね。そりゃそうでしょ。わざわざあんな格好して見に行って、「おもしろなかった」って言ったら、つじつまがあわんからね。あの格好で行ったことが絶対無駄じゃなかったことを立証するために、「おもしろかった」って言いはらんと。内容はどうあれ、見る前から「おもしろかった」って言おうと思ってますよ。”      【シネマ坊主 第1巻 24~25pより】

 

その観客は本当にそういう気持ちで観ているのか、という是非は置いておくとして。

映画というのはそこまでしゃちこばって観るような物ではない。時間潰しに映画でも観るか、くらいの感覚で充分だ。僕みたいに評論家気取りで観るだけが映画では無いのだ。非日常を楽しむ一種のイベント。だから、コスプレをして観に行くのだって全然アリだし、映画の健全な楽しみ方と言える。その楽しみ方に文句を付ける彼は間違っていると言いたい。

それと評論の中で「撮ったこと無いやつが文句言うなと言われたらそれで終わりですが」という部分に対しても文句がある。ぜんぜん終わりじゃない。後に映画監督としてデビューした彼は「撮ってない奴に言われたくない」という旨の発言をするが、ちゃんちゃらおかしい。映画を観る大半の客は、映画なんて一度も撮ったことがないのだから。伊丹十三監督の「たんぽぽ」を観て出直せ!

でも本は面白かった。オススメです。

 

映画評:【来る】柴田理恵は良かった。

 

48点

同じく中島哲也が監督を務めた「渇き。」は、暴力やドラッグの描写が延々続く。しかし描き方に緩急がないので、いくら刺激的な映像を重ねられても全く心に響いてこない。そして残念ながら、今回の「来る」に関しても、僕は同じ事を思った。

 

 

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原作は澤村伊智のホラー小説。第22回ホラー小説大賞を受賞した傑作である。

最初、劇場でこの映画の予告編を観た時は心躍った。原作小説を知っていたこともあるが、何よりも予告編がとても良く出来ていたからだ(といっても、予告編は1分15秒。世界観をキープしたまま、上手くごまかせることができる。ちなみに予告編というのは本編制作とは別の会社が製作するらしい)。

CMディレクター出身ということもあり、一場面ごとの映像の作り込みはとても上手い。だからオープニングのシーンまではワクワクした。が、本編が始まると坂道を転げ落ちるようにつまらなくなっていく。

映画はCMとは違う。ストーリーを構成し、人物を描写し、出来事の推移をたどる必要がある。中島監督は、根本的にそういう映画に必要な資質に欠けているのではないか。今回ホラー映画を撮ったことでよりそれが明らかになった気がする。

ホラー映画を作るには、基本的に普通に撮る必要がある。物語内のィクションラインを上げないためだ。なるべく僕たちの居る日常に近い目線で描写を積み重ねていき、それが恐怖に繋がる。中島監督はそういう撮り方をしていない。何かインパクトのある色彩や衝撃を入れれば観客が怖がってくれると思っている(もし、中島監督がこの原作でホラーを撮ったつもりは無いと言い訳するなら、失望を禁じ得ない)。ただ怪奇描写を連ねても、荒唐無稽になるだけなのだ。

では、スプラッター映画やモンスター映画のような思い切りの良い舵取りが出来ているかと言うと、それもてんでダメだ。前半の家庭描写が長すぎるし、原作の持つ視点を切り替えてわかる新鮮な展開、という持ち味を全く活かせていない。特に原作小説で描かれる、少年時代の祖父との家の中でのエピソードは凄く怖くて良く出来ているのだが、本作ではただのこけおどしに留まっている。あえて評価するならば、そのシーンを映像化するにあたり、時代が過去であるのを表現するのに幽遊白書が巻頭の少年ジャンプを使ったのは良かったと思った。あと、これは映画を観た誰もが口を揃えて言っていることだと思うが、柴田理恵は良かった。

基本的に「渇き。」からの弱点は克服できていないと思う。

相変わらず、表面的な薄っぺらい映画だった。

 

映画評:【カメラを止めるな!】今更だけど、やっぱりおもしれぇ!

 

完全に時期を逸した……。

公開から大分経ってしまった後で、こんな記事を書いてるなんて。

きっと、様々な所でこの映画の評がされているかと思う。別に僕なんかが改めて映画評をする必要も無いんだろうけども、書いてしまったんだからしようがない。

 

 

89点

自主映画製作のスタッフが、山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影をしていた。本物志向の監督はなかなかOKを出さず、テイクは重なってゆく。途方に暮れる俳優や撮影隊たちだったが、なんとそこに本物のゾンビが現れ彼等を襲い始める。危機に瀕した状況であるにもかかわらず、監督は大喜びでカメラを回し続ける……。

都内2館の上映から口コミで話題が広まり、200万人を超える観客動員を記録した異例のヒット作。

観客が最初に目にするのは37分のゾンビ映画。廃墟で映画撮影をしているスタッフたちが本当にゾンビに襲われてしまうという筋書き。ワンシーン・ワンカットの手法は斬新だし、所々のシュールな展開にも面白味が無いとは言わないが作品としては陳腐の範囲を抜け出せていない。僕も含めた多くの観客は肩透かしを食らう。

ところがその作品の幕が閉じると、時系列が前に戻り、映画撮影の経緯が語られてゆく。主人公である映画監督の視点を中心にして、作品の企画が立ち上がっていく過程、この作品がテレビで生放送されるという事実が明らかになる。いわば、謎解きにおける解答編が提示される訳だ。そして本番、オンエア直前に起きたアクシデントによって、監督自らが主演を務めるという事態に陥り、その他にも様々な問題が立ち上がるが、それも監督やスタッフ、演者たちの知恵と機転によって乗り切ってゆく。

それにより、最初に作品を観て感じた、違和感や疑問が次々と氷解してゆくばかりか、抱腹絶倒のコメディへと見事に転化する。作り手たちの事情や思惑を知ってからその作品をもう一度観ることで、バラバラだったピースが綺麗にはまってゆく快感を味わうことが出来るのだ。

それだけでなく、主人公の監督をはじめ、作品を絶対に成功させると息巻く彼等の人間ドラマがきちんと描かれていることで、物語の秀逸な構造が、より強化されている所も本当に素晴らしい。映画を作る人々の情熱、「映画愛」をひしひしと感じ、その姿を見ているだけで嬉しくなってしまう。それと、やっぱり日本でのゾンビ映画の認知がされてきたからこその傑作に繋がったのだと思う。映画の最大の武器とも言える“視点”というものを、これ以上ない程にまで磨き上げた奇跡の傑作。

 

映画評:【3時10分、決断のとき】登場人物が全員アホ

 

本作は1957年に公開された「決断の3時10分」をリメイクした西部劇映画。各所で高評を得ているようだけど、僕は全然ノレなかった。登場人物が全員アホ過ぎて感情移入できないからだ。

 

その① ギャングがアホ

早打ちのガンマン、ベン・ウェイド(ラッセル・クロウ演)が率いる無法者たち。大金を乗せた駅馬車を襲うが、下手過ぎ。遠くから狙撃する奴が居るとか、物陰から急襲するとかすればいいのに、だだっ広い荒野の中、強盗団は正々堂々前から突っ込んでいく。で、案の定迎撃に遭って仲間が何人かやられてしまう。その後になって、ベンが牛の大群を馬車の前に誘導して進路を妨害するんだけど、最初にそれをやっておけば被害が少なくて済んだのでは?

襲った中に居た生き残りに、「お前はまだ生かしておいてやる」とベンはそいつを見逃す。何か利用価値があるのだな……と思って観ていても、そんな展開は一切ない(その後、ベンは母親を侮辱された事で激昂し、そいつを殺してしまう)。

馬車を破壊し、金庫の金にありつく一同。が、不覚にも仲間の一人が人質に取られてしまう。するとベンは人質ごと敵を射殺してしまう。

「被害は最小限にしなければならない。彼は油断していたから死んだ」

冷徹に仲間に説くベン。だが、その後町の酒場で女と懇ろになるベン。強盗の件は自発的にバラしたため保安官が近くを嗅ぎまわっているにも関わらず、酒場でゆうゆうとくっちゃべっている。そのおかげで、ベンは一人、捕まってしまう。

その言葉、お前にそのままそっくり返してやりたい。

しかもベンが捕まっている最中、部下の一人に「油断したから捕まったんだ。あいつが言ってたんじゃないか」と指摘されている始末。副リーダーがベンに狂信的であったため、彼を奪還すべく動き出すのだが、この時点でリーダーのカリスマ的な設定には説得力が無い。

 

その② 護送団がアホ

捕まえたベンを公開処刑にするため、3時10分発の汽車に乗せようと、彼を護送する一同。まず、ベン・ウェイドは極悪人で有名であり、ギャングたちが彼を奪い返しに来ることは想定している筈なのに、人数が少ない。5、6人しか居ない。「七人の侍」とか「十三人の刺客」とか、人数の少なさにやむを得ない要素があればサスペンスになるんだけど、保安官が携わっているんだから、もうちょっと何とか出来るはずだ。ちなみにオリジナル版では、賞金200ドルで護送を募集するが、ベンの恐ろしさからみんなが尻込みしてしまい、人数が集まらないという描写があるらしい。この描写を何故省いたのか、理解に苦しむ。

で、ただでさえ人数が少ないのに、ベンの拘束がちゃんとしてない。夜、みんなが寝ていると、一人保安官がベンに殺されてしまう。その後、馬に一人で乗っけて移動させていると、あっさり銃を奪われ、また一人殺されてしまう。もっとちゃんと縛って、馬の尻に乗せるとか鉄の柵に閉じ込めるとかしようよ。レッド・デッド・リデンプション2ではそうしてたよ。

そもそも、「3時10分発の汽車に乗せればオッケー」という発想が既におかしい。汽車に乗せたとしても、その汽車が止められてしまったり、到着駅で待ち伏せされる可能性もある。高い塀のある堅固な刑務所、とかなら手が出せないなと分かるけど、汽車なら余計危ないのでは、とすら思う。勿論、「3時10分」というタイムリミットを設定したいのは分かるけど、もっと展開に必然性を持たせて欲しい。

 

その③ 町民がアホ

汽車の時間がくるまで、宿で籠城する一同。ところが居所がバレてしまい追い詰められてしまう。ギャングの副リーダーは、町民に「護衛を殺してくれたら200ドル払う」と言うと、何十人もの町人が銃を手に取り、護送団を襲い始める。ちょっと待ってほしい。ゴロツキしかいないような貧民街ならともかく、文明化が進んだそこそこ大きな町で、そっち側に寝返るような人間がそんな大勢居るとは思えない。200ドルが大金とはいえ、ここでギャング側に着くようなことをすればお尋ね者の仲間入りなのに。皆が金に困って殺伐としているような描写が無いので、単純に嘘臭く見えてしまった。

 

ということで、登場人物は全員アホでした。ラッセル・クロウとクリスチャン・ベールという、素晴らしい名優たちの共演を観れたことだけが唯一の救いでした。

 

40点