きねぞう

映画の感想や関連記事を載せていくブログです。

映画評:前田亜季のアイドル映画としては合格点【学校の怪談3】

 

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

今回紹介するのはこの作品です!

 

 

学校の怪談3

製作:1997年/日本

監督:金子修介

出演:久保田良

  :前田亜季

  :西田直美

  :黒木瞳

  :豊永利行

 rating:65点

 

 

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はい。パンフレットも2と比べればまだ保存状態がいいですね。

今回は「鏡の世界」がモチーフになっているため、パンフレットもそれに沿った趣向でございます。

 

 

ストーリー

槙町小学校には、映した者を異世界へと誘う「タイチの鏡」がどこかにある、という噂があった。運動会の放課後、母親と喧嘩した久保田良は家出をするが、ひょんなことから他の生徒たちと一緒に、夜の学校で「タイチの鏡」を探すはめになってしまい……。

 

レビュー

人気ジュブナイルホラーシリーズの第3弾。監督は1、2作目を務めた平山秀幸から、金子修介へと変更。

映画シリーズにおいて、3作目というのは鬼門です。

「ターミネーター3」「エイリアン3」の例をみても明らかですね。

 

シリーズそのものが持つ面白さは、大体が1、2作目で尽きてしまい、旨味の余地がほとんど残っていないのです。そのために作品の方向性や持ち味について一歩踏み込んだアイディアが必要になってきてしまう。大抵の3作目というのは2作目の焼き直しか、新しい要素打ち出そうとして失敗するかの2パターンです(前者はターミネーターで後者はエイリアンって感じですね。個人的にはエイリアン3は好きですが……)。

 

さて今回は、ある程度ネタバレを含んでおります。ご了承ください。

 

まず評価したいのは、きちんと「学校の怪談」の「怪談」の部分にフォーカスをあてたところです。「運動会の二人三脚で転んだ生徒は、鏡の世界に連れ去れてしまう」という生徒たちの噂をモチーフにしたことは、まさに「学校の怪談」にふさわしいです。正直、1、2作目ではそこは配慮されてなかった部分ですしね。

 

舞台を木造校舎から現代の鉄筋校舎に変えたのも、私は好ましい判断だと思います。学校の怪談には、確かにノスタルジーさが通底していますが、それは、その時代を精確に切り取ったからこそ生まれるモノ。無理に「三丁目の夕日」みたいに加工した昔にこだわる必要はないのです。

 

そして相変わらず、異変に巻き込まれる生徒たちにはそれぞれ事情があり、ひょんなことから学校に集まってしまった、という設定が素晴らしいですね。全員が心霊やオカルトに理解のある「心霊研究会」みたいなのが、生徒からの心霊相談を受けたりするような話は僕は嫌いで、本来、関わることのなかった人たちが異常事態に巻き込まれ、否応なく行動を共にし、その過程で信頼関係を築き成長していく、という筋書きが好みなんです、あくまで。そこをきちんと守っていただいて嬉しい。

 

さて、つづいてネタ切れと揶揄されている妖怪たちのバリエーションですが、私はこれにも好意的な感想を持ちました。特に「人体模型」と「のっぺらぼう」は造形やエピソード含めて素晴らしい。「人体模型」は、主人公がかつて友達としたイタズラが原因になっているのですが、こうした因果応報を描くことで、子供たちが観る映画としてもいい。担当している野田秀樹がいい仕事してますよ。ことあるごとに触れていきたいのですが、僕はホラーは最高の道徳教育だと思っているので、こういう要素を入れてくれるのは嬉しいです。

「のっぺらぼう」は、子供たちの顔をはぎ取ろうとしてくる、なかなか猟奇的なキャラクターで秀逸だし、「テストの点数が悪かったから、お母さん顔とられちゃった」というセリフもいいですね。この「のっぺらぼう」のシークエンスも「いったん学校から脱出できたと思ったら……」という弾みもあって、出色の出来栄えですね。

ラスボスがしょぼいじゃないか、という声もありますが、私はこれでいいと思います。校内に今まで背景のように映っていたものが、やがて本性を現す、という意外性は好きです。

 

なにより本作は、アイドル映画としてよくできているんです。さすが金子監督ですね。

映画の出来について言及する方は多いと思いますが、この点については認めるのにやぶさかではないじゃないでしょうか?事実上、前田亜季の最高傑作だと思いますよ!

 

さて、ここまで褒めちぎってきましたが、ダメなところがない訳じゃないんです。

例えば、今回は子役のセリフがよくない。非常に説明的で、「これを言われたら、こう返すことになっている」といった感じで、段取り臭い。これは子役の演技の問題ではありませんね。脚本の問題だと思います。

登場人物に繋がることですが、この映画全編が妙な青臭さに満ちている。幼稚的といっていい。感動させよう、とか、いい話にしよう、とか作り手の意図みたいのが見ちゃってるんですよね。さきほど、幼稚的という言葉を使いましたが、意外と子供はしっかりと作品を観てるんですよね。だからあまりナメてはいけない。

1作目で感じたあの異様なリアリティを思い出していただければ一目瞭然です。あのどこにでもいるような小学生さはなくなっています。本作は、「いま、そこに生きている人物」というよりも、記号性や属性がにじみ出た「キャラクター」ぽくなってしまっている。人間性が一面的で、悪い意味でアニメ的といっていいでしょう。

1、2作目の、あの生徒たちの何気ないやりとりは非常に重要で、今でも鑑賞に堪えうる作品になっているのは、案外その部分が大きいと感じています。それだけに、今作の芝居臭さは大きなマイナスポイントとなります。

 

さらに、致命的だと思うのはタイチの存在です。

タイチは友達が欲しくて、運動会の二人三脚で転んだ生徒を鏡の世界に引き込んだのですが……映画の冒頭をみると、昔にある女子生徒を一人引き込んでいるんです。

彼女はどうなったんだ?

その後、助かってはいない筈なので、彼女は鏡の世界で永久にさまよっているはず……。

ひどくね?

それで、タイチはいい人でした、みたいな善玉として登場されても……。冒頭の女の子は犠牲になったままですからね。「まぁまぁ子供向けの映画なんだから……」と思うかもしれませんが、子供向けの映画だからこそ、こういう話作りは丁寧にしてほしいですね。幽霊と友情話をやるんだったら。

まぁ、とはいえ、魅力的な部分は沢山ある映画です。1作目、2作目を楽しめた方ならシリーズ作品としても絶対に見逃せない一本です!

 

あとエンディング!素晴らしいです。

Dual Dreamの「Splash」がとても良い。

ホラーのエンディング曲は、ギャップのある「さわやかで明るく、どこかノスタルジックな曲」が一番合う!ナイスな新要素。

 

なんやかんやで色々語りがいのある作品でしたね。

 

ではまた。

 

映画評:【ドラえもん のび太のパラレル西遊記】「おまえは、孫悟空だよ!」

 

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

私はドラえもん映画が大好きです。

当ブログでも、少しずつレビューを書いていきたいと思います。

 

という訳で、今回の作品はこちら!

 

 

ドラえもん のび太のパラレル西遊記

製作:1988年/日本

監督:芝山努

出演:大山のぶ代

  :小原乃梨子

  :野村道子

  :肝付兼太

  :たてかべ和也

rating:70点

 

 

ストーリー

学芸会で西遊記を演じることになったのび太は、孫悟空役を出木杉に取られてしまう。

孫悟空が実在すると信じていたのび太は、「本物に似ている人が孫悟空になるべきだ」と主張し、単身でタイムマシンに乗り込み、七世紀の唐の時代の中国へ。

そこでのび太は、自分そっくりの孫悟空を発見し……。

 

レビュー

国民的アニメの劇場版シリーズ第九弾。

ドラえもんのひみつ道具「ヒーローマシン」から西遊記の妖怪たちが流出。人類が滅ぼされその妖怪世界が現代にも波及してしまった事を知ったのび太一行は、パラレルワールドの歴史軸を修正するため、西遊記の英傑に身をやつし、牛魔王率いる妖怪たちと対決する。

ドラえもん劇場版の中でも恐怖演出が群を抜いており、またシリーズが哲学的なテーマが据えられた作品が多い中で、純粋な娯楽度において本作の右に出るものはないでしょう。

 

さらに注目したいのは物語の構造として大変よく出来ており、ドラえもん劇場版の雛型のような脚本なのです。

私が分析するドラえもんの劇場版の造りは三幕構成で、三分の一はテレビ放映の30分アニメに見られる「日常パート」であり、のび太が未来の道具を使うも調子に乗り過ぎて失敗し、痛い目に遭うというエピソードそのまま。そして残り三分の二は劇場版の本領である「非日常パート」です。

 

本作の尺は90分ですが、丁度開始30分で「ヒーローマシン」から妖怪たちが飛び出してしまう。妖怪たちが溢れだしてしまったのは、道具を置きっぱなしにしてしまったドラえもん達の過失が原因ですが、この「うっかり放置してしまった」瞬間から第一幕が終了し、第二幕、すなわち劇場版の「非日常パート」へと見事に移行していきます。

このうっかりの軽さに対して世界が一変してしまうギャップの恐怖が秀逸。前述したようにホラー的な演出が多く、公開当時を含めビデオリリースで鑑賞した少年少女に、大小さまざまなトラウマを刻んだことでしょう。

恐怖演出として引き合いに出されるのは、「階段を上って来るのび太ママの素足」や「豹変する学校の先生」の場面ですかね。

 

しかし、個人的に私が一番怖いの感じた場面は、別にあります。

序盤、西遊記ゲームの世界に入っているのに、敵の妖怪が一行に出現しないまま、ただただもぬけの殻となった牛魔王の宮殿をゆくシーン。異様なワープでステージが省略され、あっさりとクリア画面である天竺に移動してしまうのです。すでに妖怪たちは現実世界にすべて流出してしまった、という伏線の場面なのですが、これが非常に不気味でした。すでに尋常でない何かが進行している、しかしのび太一行はまだそれに気づいていない、というギャップも含めて背筋が凍るシーンです。

ぜひご覧になってください。

 

ではまた。

 

映画評:女子高生たちが黒魔術で復讐!【ザ・クラフト】

 

 こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

映画のジャンルに統一性がない当ブログですが、気にせずどんどん書いていきます。

今回紹介するのはこの映画!

 

 

ザ・クラフト

製作:1996年/アメリカ

監督:アンドリュー・フレミング

出演:ロビン・タニー

  :フェアルザ・バルク

  :ネーブ・キャンベル

  :レイチェル・トゥルー

  :スキート・ウールリッチ

 rating:75点

 

 

ストーリー

霊感の強い転校生のサラは、学園で魔女と呼ばれている、ナンシー、ロシェル、ボニーの三人組の少女たちと知り合う。

それぞれが悩みや心の傷を抱えた彼女たちは、崇拝していた黒魔術によって周囲を見返そうと、サラの力を借りて儀式を執り行う。

儀式に成功した彼女たちはそれぞれの理想を叶えていくが、ナンシーたち三人組は魔術を悪用し、暴走していく。三人のエスカレートしていく姿や、次第に自分の力に怯えたサラは、黒魔術の仲間から抜けようとするが……。

 

レビュー

黒魔術に翻弄される少女たちの悲劇を描く、学園ホラー映画の傑作。

純粋な恐怖映画というよりも、青春映画としての側面が強く、ティーンエイジャーの微妙な葛藤を丁寧に描いているのも特徴。

 

不可思議な力を手に入れてしまった少女たちの驚きや戸惑いをきちんと描写しており、ただのB級オカルトホラーとは一線を画します。

 

四人の少女たちのそれぞれのキャラクター性もきちんと掘り下げられていて、一人一人にきちんと感情移入できますね。各々のコンプレックスが、黒魔術で周りを見返してやろう、という気持ちの原動力になっています。

「スクリーム」シリーズのネーブ・キャンベルが陰のある少女ロシェルを演じていますが、次第に可憐に奔放になっていく姿がとても印象的です。

 

彼女たちの社会とは学校と家との往復でしかありません。そしてそのどちらにも、彼女たちの居場所はなく、宙ぶらりんのまま。

映画中盤、不可思議な力に目覚めてしまった彼女たちの「奇跡」が、ティーンエイジャーの持つ特有の鬱屈や焦燥、厭世感や根拠のない万能感が生み出した「錯覚」とも解釈できる表現加減は絶妙です。

 

黒魔術によって結束した四人が心を通い合わせ友情を育む「静」の前半。

一人グループを抜けようとするサラに折檻を加えるべく三人が襲いかかる「動」の後半。

という風に、丁寧な描写の積み重ねで、クライマックスに向けて盛り上がっていく作りは王道ゆえによく出来ています。

 

学生時代、教室の隅で「自分こそは特別な存在」なのだと思い描いていた人には苦く響く作品かもしれませんね。

 

ではまた。

 

映画評:ヤクザVS弁護士【ミンボーの女】伊丹十三はやっぱりスゴイ!

 

こんにちは。

杵蔵です。

 

今回紹介するのは、この作品です。

 

 

ミンボーの女

制作:1992年/日本

監督:伊丹十三

出演:宮本信子

  :大地康雄

  :村田雄浩

  :宝田明

  :大滝秀治

rating:80点

 

 

ストーリー

『ホテル・ヨーロッパ』では、その弱腰な姿勢に付け込まれ、ヤクザからのゆすりが横行していた。

総支配人の小林は、経理部の鈴木とベルボーイの若杉を暴力団対策員として任命する。

しかし、素人の彼らではヤクザたちの硬軟織り交ぜた恐喝に敵う筈もなく、事態はさらに悪化していくばかりであった。

困窮する彼らに、民事介入暴力=ミンボーを専門とする弁護士・井上まひるがれ……。

 

レビュー

ヤクザの恐怖や、民事不介入という警察のシステムを捉え、職業人として、一人の人間として成長していくホテルマンの姿を描いた、社会派エンターティメントの名作。

 

毎度感心させられるのは、伊丹監督の題材に対する緻密な取材力と、社会問題に鋭敏に迫るそのアプローチ力ですね。ヤクザの脅しの手口を丁寧に描き、そこに屈服していく人間に迫っていくストーリーテーリングが非常によく出来ています。

総支配人の小林が、ヤクザの経営するキャバレーに連れられ、罠に陥る場面。宝田明の名演が光り、本当に、人間が蹂躙されたときにみせる絶望の表情が凄まじく、この映画の白眉だと感じました。

ヤクザたちも迫力があってとても怖い。「暴力のプロ」の名は伊達ではなく、ホテル側にさまざまな罠を仕掛けようとしてくる。

はがゆいのは、ヤクザたちの脅しが、法律のギリギリのラインをいくもので、警察としても対応ができない、という点ですね。ホテルよいう客商売なのをよいことに、彼らに付け込まれてしまいます。

ヤクザの中には、お茶の間でよく見る俳優も出演していますが、バラエティ番組で観るような、コメディイメージを消し去る好演をしていますね。

 

何か救いの手立てはないのかと臍を噛む彼らに、颯爽と弁護士の井上まひるが現れる。圧倒的な法律知識と今まで培ってきた経験を武器に、堂々とヤクザたちに向かっていく姿は実に痛快。

そして、彼女に感化されるようにして、ホテルの従業員たちも次第に逞しくなっていく。

 

本作が上映されて間もなく、伊丹監督は暴力団に襲われ、全治三ヵ月の重傷を負いました。

暴力に対する希望を提示した伊丹監督は、暴力の報復を受けたのです。

しかし、彼はそれに屈するような男ではない。襲撃事件により身辺警護を受けた経験を、さっそく映画の材料にしてしまいます。1997年に公開される「マルタイの女」です。

 

伊丹十三は、やっぱりスゴイ!

 

ではまた。

 

映画評:ラストカットにシビれる【狼よさらば】

 

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

突然ですが、チャールズ・ブロンソンといえば、大塚周夫ですね。

あの渋い声がたまりません。

 

ということで、今回批評するのはこの作品です。

 

 

狼よさらば

制作:1974年/アメリカ

監督:マイケル・ウィナー

出演:チャールズ・ブロンソン

  :ホープ・ラング

  :ヴィンセント・ガーディニア

  :スティーヴン・キーツ

  :ウィリアム・レッドフィールド

 rating:70点

 

 

ストーリー

強盗に妻を殺され、娘を植物状態にさせられた設計士のポールは、未だ事件を解決できない警察に苛立ちを感じていた。

気晴らしに仕事でアリゾナへと出張した彼は、現地に根付く「市民も銃を手に取り悪と戦う」という精神に感銘を受ける。

帰宅後、顧客のガンマニアから土産として届けられた拳銃を手に取ったポールは、夜の町へと繰り出していき……。

 

レビュー

夜のニューヨークを見廻り、悪党を自らの手で処刑していく父親の姿を描いた、社会派サスペンスの名作。

元来、ポールは反戦主義でした。狩人だった父親を銃の事故で亡くした経験を持ち、朝鮮戦争に出兵した時も医療班に志願していたのです。

しかし、妻子の残酷な事件に始まり、警察の不手際、アリゾナでの自警の精神が、彼を次第にハンターへと駆り立てていきます。

こんな風に、動機を一つ一つ積み重ね、その変貌の過程を、本作は丁寧に描写していますね。

 

変化していくのはポールだけではないんです。夜の町で一人わざと襲われ、犯罪者たちを返り討ちにしていくポールの存在は、マスコミにも「幻の狩人」として取り上げられ、市民にも支持されていく。

ポールに感化された彼らは、自警団を組織し、犯罪者たちを自らの手で裁き始めてしままいます。警察は威信をかけてこの「幻の狩人」を捜索しますが、その一方で街の犯罪率の減少を横目にジレンマを感じているのが面白い。

しかし、犯罪率が減少できているとはいえ、市民が自らの手で裁くなど、あってはならない事態です。

個人の数だけ正義はあるのですから、その人の感性によって人を裁くのは傲慢であり、危険なのです。そうした危険な思想が暴走する果ては、テロになってしまう。

だからこそ、人間は法というものを整備し、文明を築いてきた。これでは野蛮な昔に逆戻りです。

 

もう一つ筆者が取り上げたいのは、狩人として次々と悪漢を処刑していくポールの、その憑りつかれた様な姿勢です。

おそらく、彼はもう元の生活には戻れないでしょう。

悪党を退治していくのを辞められない筈です。ある種、呪いともいっていいのかもしれれませんが、それでも、悪党を退治していくことが、彼の人生に精彩を与えてくれるのかもしれません。

果たして彼の呪いが解けるのか?

それは、あの最高に「シビれる」ラストカットを見れば一目瞭然です。

ぜひご覧になってください。

 

ではまた。

 

映画評:嫉妬と復讐の罠が、天才へのレクイエム【アマデウス】

 

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

だんだん、ブログ記事を書く事にも慣れてきました。

今回、批評するのはこの作品です。

 

 

アマデウス

製作:1984年/アメリカ

監督:ミロス・フォアマン

出演:トム・ハルス

  :F・マーリー・エイブラハム、

  :エリザベス・ベリッジ

  :ジェフリー・ジョーンズ

  :リチャード・フランク

 rating:90点

 

 

ストーリー

凍てつく19世紀のウィーン。とある精神病院に、自殺を計った重症の老人が運び込まれてくる。

老人の名はアントニオ・サリエリ。

かつてオーストリア皇帝ヨーゼフ2世に仕えた高名な作曲家であった。やがて病室を訪問した神父に、サリエリは語り始める。

自らが死に追いやってしまったという、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの物語を……。

 

レビュー

ブロードウェイの舞台を映画化。

宮廷作曲家サリエリの視点を通じて、いまなお偉大な作曲家として知られるモーツァルトの生涯を描いた、重厚かつ豪華絢爛な音楽史劇です。

 

音楽へのひたむきな愛情と、敬虔な信仰心を持つサリエリは、皇帝に仕える宮廷作曲家として人々から尊敬されていました。

しかし彼の前に天才作曲家・モーツァルトが現れてしまったことで、彼の人生は一変。皇帝や大衆はモーツァルトの音楽の虜になってしまい、今まで集めていた人々の関心は全て彼に奪われてしまいます。

さらにサリエリが許し難かったのは、彼が下品で礼儀知らずで、そのうえ女癖が悪く、密かに彼が恋心を抱いていたオペラ歌手さえも、モーツァルトに簡単に横取りされてしまったことでした。

 

しかしサリエリはその一方で、モーツァルトが生み出す音楽が類いまれな才能を湛えていることを見抜き、誰よりも彼の作曲の意図を汲み取ることのできる一番の理解者であったんです。

私も凡庸な有象無象の一人として、天才に打ちひしがれるサリエリにはとても感情移入してしまう。

サリエリには音楽しかないのに。自分の音楽が遠ざけられてゆく。それは、死ぬことに等しいほどの恐怖なのだと思います。

しかし、音楽を愛し誰よりも研鑽を重ねてきた彼だからこそ、モーツァルトへの嫉妬や嫌悪を超えて、純粋に彼の音楽を理解し評価する域に到達できたのではないだろうか。と、私は思います。

 

音楽に限らず文学や絵画や映画のような芸術は、その真価を問う時、生み出した者の人間性など斟酌しません。

芸術は作り手を離れて人々から愛されるものだと感じます。それが芸術の持つ素晴らしさの一つなのかもしれないですね。

 

ではまた。

 

映画評:ニッポンVS【シン・ゴジラ】

 

こんにちは。

杵蔵(きねぞう)です。

 

流行便乗シリーズ第二弾。

まだまだ行きますよ。

今回は、庵野秀明が監督した、あの大ヒット怪獣映画の感想を述べていきます!

 

ということで今回扱う作品はこちら!

 

 

シン・ゴジラ

製作:2016年/日本

監督:庵野秀明

出演:長谷川博己

  :竹野内豊

  :石原さとみ

  :市川実日子

  :松尾諭

rating:85点

 

 

ストーリー

東京湾に突如として現れた謎の巨大生物。翻弄される政府をよそに、本土に上陸したその怪獣は、次々と破壊の限りを尽くしていく。内閣官房副長官の矢口蘭堂は、有史以来の危機的状況を前に様々な対策を練るが、怪獣の進行を食い止める手立てには繋がらない。怪獣の正体とは、そして、ニッポンの命運やいかに……。

 

レビュー

 

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「節子、それ庵野秀明版やない! ローランド・エメリッヒ版や!」というベタベタなボケは流して、本題に入っていきます。

 

正直、予告編を観たときは「またゴジラかい!」と思いました。

2014年にハリウッド製作で公開されたばかりでしたからね。

ちなみに私は、ゴジラシリーズについてはほとんど門外漢。観た作品としては、

 

・ゴジラ(1954年/日本)

初代ゴジラ。もちろん劇場では観ていない。正直、今観てもあまり面白く感じない。

 

・GODZILLA(1998年/アメリカ)

ローランド・エメリッヒ版。ジョン・レノンが主演です。子供のころ劇場で観て、パンフレットまで購入した筈なのですが、ほとんど思い出せない。かなり印象が薄い。

 

・GODZILLA ゴジラ(2014年/アメリカ)

ギャレス・エドワーズ版。渡辺謙が主演です。劇場で鑑賞。現代版としてかなりリニューアルされてますが、個人的には、ゴジラの善玉感が強く、あまりノレない作品でした。

 

このように、私はそれほどゴジラには思入れもなく、今回も完全にナメた状態で観に行ったのです。

しかし、今作は……。

 

 

 

 

「世界よ、これが日本映画だ!」

と言わんばかりの大傑作でした。

「ぼくたちが自慢されたい日本映画」

でもあります。

 

本当に謎の巨大生物が日本に侵攻するとどうなるか?というシュミレーション的リアリティの積み重ねと、濃厚なヒューマンドラマが両輪となり、謎がとけていく緻密な話運びと、これでもかという程の破壊描写の、緩急に満ちた、まさに巨大なジェットコースタームービーでした。

 

昨今の日本映画の「病理」ともいえる、お涙頂戴要素・恋愛要素をバッサリと切り捨てた結果、脂肪を極限まで減らした鋼鉄の筋肉のような芯のある骨太な娯楽超大作になっています。

 

コレ、本当に劇場で観れてよかったです。

中盤の、東京大破壊シーンには、劇場内で本当に絶望しました。

 

「おい、これどうすんだよニッポン……どうなるんだよ人類!」

と本気で手汗握りました。

 

これが「映画」であることを忘れて、これほどまでに物語の世界にのめり込んだのはいつ以来でしょうか。

あそこまで映画に感情移入させたのは、極限まで積み重ねられたリアリティの功績でしょう。感服しました。

 

個人的に好きなシーンが別にあって、それは自衛隊の戦闘ヘリが初めてゴジラと対峙する場面です。

 

向かってくるゴジラを迎撃しようとするのですが、ゴジラの前に、避難している民間人を発見します。

攻撃命令を待つ自衛隊ですが、大河内総理は苦悶した挙句、「なにがあっても国民に自衛隊の弾を向けることは出来ない!」と、退却を命じます。

 

これを観て、私の中で「なに悠長なこと言ってるんだよ!」という苛立ちがありましたが、それと同時に、終戦から平和を目指してきた日本の矜持を見た気がし、何やら焦燥と誇らしさがないまぜになった、複雑な感情の芽生えに戸惑ったことを覚えています。

 

超絶技巧の娯楽作でありながら、もちろん社会的な意義も沢山詰まった作品です。

未見の方はとにかく観て欲し作品でした。

 

次のゴジラ作品は相当ハードルが高いでしょうね。

 

「マトリックス」がこれまでのアクション表現を刷新したように、

「ロード・オブ・ザ・リング」がファンタジー映画の水準を引き上げたように、

 

「シン・ゴジラ」も、ゴジラシリーズのエポックメイキングとして、クラシック入りする作品なのは間違いない訳です。

もう我々観客は不要にリテラシーが上がっていますからね。

それをどう乗り越えてくれるか、期待ですね。

 

ではまた。