きねぞう

映画の感想や関連記事を載せていくブログです。

映画評:【パーフェクトブルー】「私は本物だよ」

 

ローカルアイドルグループ『チャム』に所属する霧越未麻は、事務所の強引な方針によりグループを脱退し女優へと転身する。しかし、アイドル時代への未練を強く残していた彼女は、成功とは裏腹に、次第に精神的に追い詰められてゆく。やがて現れるもう一人の未麻。これは幻覚なのか、現実なのか。さらに彼女の周囲で次々と起こる惨殺事件に、未麻は、自分が殺人鬼ではないかと恐怖におののき……。

 

竹内義和の小説『パーフェクト・ブルー 完全変態』を原作としたサイコサスペンス。 ストーカーやインターネットをいち早く作品内に組み込み、また現実と虚構の交錯というテーマも当時は先鋭的であったため、数多くの作品に影響を与えています。原作の小説からは一部の要素だけを抜き取って大胆な変更を行ったようですが、作品内の劇中劇「ダブルバインド」と現実世界が混ざり合った感覚に陥ってしまうという主人公の精神世界を、映画的に上手く繋ぎ合わせ描写している所が秀逸。殺人事件の謎と同時に、未麻が本当の自分を取り戻そうとする物語が抜群に符合しています。        

 

写実的なアニメーションはクオリティが高く、今観ても鑑賞に堪えうる魅力を放っています。人物の表情も素晴らしく、未麻がいつもの不安な表情から、女優の演技へと表情を切り替える、その変化を滑らかに描いているのが印象的でした。またそのリアルな描画によって残酷描写やレイプシーンなども盛り込んだ意欲作という位置づけも出来るのではないでしょうか。

作品内で流れるオリジナルの挿入歌もどれも良く出来ています。曲調と歌詞に、いかにも二流アイドルが歌っていそうな説得力がある(笑)。

さらにエンディング曲である「season」は、甘酸っぱく爽やかな曲で、物語全編に漂っていた陰惨な雰囲気を吹き飛ばすような清涼感を持っており、この落差もたまらない魅力ですね。

 

72点

 

映画評:【銀の匙 Silver Spoon】どこに出しても恥ずかしくない、青春映画の傑作

 

進学校での激しい学力競争に挫折した八軒勇吾は、厳格な父の元から逃れるため、都会の札幌から離れて、寮制の大蝦夷農業高等学校(通称エゾノー)に進学する。初めて経験する過酷な酪農の世界に、勇吾は悪戦苦闘の日々を送るが……。

 

荒川弘の同名コミックを映画化。農業高校で成長していく少年たちを描きます。厳しい社会競争の中で、どうやって「生き抜き」また自分の納得する「生き方」を見つけていくか、という問いを常に映画的に描き出すことに見事に成功しており、映画の組み立て方として“異常”とも言える完成度を誇ります。

僕は原作漫画を読んでませんでしたが、それは個人的に「酪農世界のこちら側に対する上から目線」のような物を感じていて、敬遠していたからです。ところが物語内においても、素人である主人公は最初、酪農の世界にカルチャーギャップ以上の疎外感を感じており、それが見事に主人公への感情移入を注ぐ機能を果たしてくれました。作中には実際に「銀の匙」が物語を象徴する存在として登場します。欧米では、新生児の幸運のシンボルとして銀の匙を出産祝いに贈られる風習があるそうです。それは、初めての食事を銀の匙で食べると、一生食べることに困らないという伝承に基づいています。過酷な酪農の世界では、とにかく生き抜くこと、食べていけることに対する強い“願い”がある。映画の最後、様々な学びを得て成長した主人公が、新しい生命にその“願い”を託し、タイトルへと繋がるラストには鳥肌が立ちました。主人公が成長し、それが周りにポジティブな影響を与え、さらにそれが次の展開へと繋がっていくという、伏線回収にも余念がありません。これだけ映画の構成として無駄がないことを鑑みると、僕は監督である吉田恵輔という才能に末恐ろしさすら覚えました。どこに出しても恥ずかしくない、青春映画の傑作ですね。

 

85点

 

映画評:【ぼくたちの家族】とっくにこの家族なんてぶっ壊れてんだ。

 

物忘れの激しい母・玲子は検査のために病院へと連れられるが、そこで末期の脳腫瘍と診断されてしまう。

余命一週間とまで宣告され、父と二人の兄弟は騒然。母の突然の病によって、隠されていた家族の問題が浮き彫りになっていき……。

 

早見和真の自伝的小説「砂上のファンファーレ」を映画化。突然の母の病によって翻弄される父と二人の兄弟の、繊細な家族模様を描いています。母の脳腫瘍が見つかり、今までバラバラになっていた家族が一つにまとまる、という簡単な話にはなってくれません。むしろ、表面上は保っていた家族の均衡が崩れていく。病室で母の病名を告げられるシーンが秀逸ですね。宣告によって、日常から非日常へと突き落とされる訳ですが、「余命一週間」というあまりにも唐突なリミットで、むしろ現実味がありません。途方に暮れる一方でじわじわと絶望が湧き出すこの場面は、尋常でない事態が既に進行しているのに、状況を把握しきれない奇妙な距離感を上手く捉えています。

物語は基本的に、妻夫木聡演じる、兄の浩介の視点によって描かれます。浩介は引きこもりだった過去を持ちながらも、会社に勤めて結婚し、妻との間に新しい命を授かるなど、人並みの家庭を築き、一人の社会人として自立していました。しかし、母が入院すると、借金まみれの父と、穀潰し同然の弟と力を合わせて、この困難を乗り切らなければなりません。父と弟のズレた思考や頼りなささが苛立ちを募らせ、借金や医療費の資金繰りに悩まされ、味方である筈の妻も理解されず、やがて浩介は、無力だった少年時代に逆戻りするかのように、次第に追い詰められていきます。特筆すべきは弟を演じる池松壮亮の演技力でしょう。何かを成し遂げた訳でもなく、母親に金ばかりたかるくせに、どこか斜に構えて悟ったような言動は、同年代の俳優・染谷将太とはまた違った、ぶん殴りたくなる演技でしょう。

 

86点

 

 

映画評:【エイリアン2】今度は戦争だ!

 

ノストロモ号の悲劇から57年。宇宙空間を彷徨っていた唯一の生存者リプリーは、会社によって救助される。惨劇の発端となった惑星が植民地化されている事を知った彼女はエイリアンの脅威を訴えるが、会社の上部に軽くあしらわれてしまう。案の定、惑星を開拓していた住人が消息を絶ったという知らせが届く。リプリーは植民地海兵隊のアドバイザーとして同行する事を決意し、再び惑星に赴くが……。

 

SFホラーの金字塔として、今なお絶大な支持をもつ人気シリーズの第二弾。

監督のジェームズ・キャメロンは、恐怖度では前作に絶対に敵わないと考えたのかもしれません。キャッチコピーの「今度は戦争だ!」の通り、本作は純粋なホラーというよりもアクションの色が格段に強くなっており、無数に増殖したエイリアンとの死闘を描いています。その判断は正しいと思いますし、結果としてその作戦は成功しています。

籠城戦を決意した隊員たちは、通路口にセンサー式の銃を設置します。敵の実態は見ええませんが、生態センサーには確かに映る大量の生体反応。着実にエイリアンを迎撃するも残弾数が次々と減っていく銃。このシーンは敵を駆逐してくれる銃の頼もしさと同時に、銃弾が残り少なくなっていく焦燥感、すぐそこまでやって来ている姿の見えない敵の恐怖感が交差した名場面ですね。

キャラクター達も数段にパワーアップ。前作ではほぼ無抵抗に近い形で殺されていた乗組員でしたが、今作は未来兵器で完全武装した隊員たちが物語を彩ります。女性ながら大型武器を使い回すバスクエスや、冷静沈着で頼れるアンドロイドのビショップ、海兵隊を纏めるリーダーでありながら実戦経験に乏しく気の弱いゴーマン中尉など、やはりモンスター映画では登場人物の強い個性が重要なのだと再確認させられた一作でした。

 

72点

 

映画評:【ローズマリーの赤ちゃん】ホラーの教科書的傑作

 

ローズマリーとその夫ガイは、ニューヨークのとあるマンションに引っ越す。隣人である世話焼きの老夫婦と親密になりながら、新生活を満喫する二人。ある夜、ローズマリーは悪魔に犯されるという悪夢を体験する。その後、妊娠したことを喜ぶ彼女であったが……。

 

決定的な出来事、事態が起きている訳ではないのに感じる不信感を、妊婦特有のヒステリーであるというローズマリーの思い込みともとれるバランスで描くきます。

かといって、日本のホラー映画にありがちな思わせぶりなだけでひたすらとろいだけの演出ではなく、確かに感じるまがまがしさを描いています。それはひとえに、恐ろしい人間をきちんと描き、主人公を追い詰めているからなのだと感じます。ちょっと幽霊が通り過ぎて「ただの気のせいだ」で終わるだけの、物語にさして作用もない日本のホラー映画とは一線を画していますね。

お節介すぎる隣人の老夫婦が、じわじわと自分たちのパーソナルスペースを侵害していくようなイヤな感じが満載。全服の信頼を置いていた夫も、だんだんと老夫婦に感化されていき、彼女は子供を宿しながらも、取り残されて行ってしまう。誰を信じていいのかわからないまま、希望の種をどんどん摘み取られていき、彼女が感じる寄り処のなさが伝わってい来きます。

少しずつ謎がとかれ、真相が見えてくるストーリーテーリングも良く出来ており、伏線の回収も秀逸。それらも映画的なカタルシスをきちんと持たしている所も素晴らしいですね。他の芸のない「雰囲気ホラー」とは桁違いの恐怖。ミア・ファローも、焦燥し、痩せていき、狂気に満ちていくローズマリーを名演していると思います。恐怖映画とは何か、という問いに対する一つの到達点であり、永遠のホラー映画古典。

 

80点

 

映画評:【IT リメイク版】やっぱりホラーは“心の友”なり。

 

子共だけを狙った連続殺人事件が発生している、メイン州にある田舎町・デリー。“それ”の魔の手によって、幼い弟を亡くしたビルは、彼を救えなかったショックから抜け出せないでいた。ある日、ビルは自分と同じ様に心に傷を抱え、孤立していた少年少女達と出会い、交流を深める。そして、彼らは“それ”の正体を暴き打倒するべく、事件究明に乗り出す……。

 

原作はスティーブン・キングの同名小説であり、既に1990年に映画化された「IT」のリメイク版。

IT=“それ”の正体であり恐怖の象徴である、不気味なピエロ、ペニー・ワイズ。オリジナル版では画面から浮き出て見えるほどのインパクト、恐怖を煽る違和感を湛えており、この点だけを新旧比較した場合、どうしてもオリジナル版に軍配が上がってしまうものの、それ以外の要素、映像、脚本、音楽、演出、全てにおいて、このリメイク版が圧倒しています。

少年時代のみを抽出し、物語を秀逸に再構築、青春映画としての郷愁的な空間を生み出すことに成功。スプラッター描写はより過激になり、オリジナル版を観ていた人でも度肝を抜かれる展開のつるべ撃ちで、良い意味で観客を裏切り続けてくれます。

以下、余談になるがどうしても書いておきたい事があります。僕が本作を映画館で鑑賞したとき、隣席は中学生くらいの女の子でした。彼女は、怖い場面が来る度に顔を手で覆い、そして指の隙間をちょっぴり開き、恐る恐る、スクリーンを見詰めており、その姿を横目にしていた筆者は形容しがたい甘酸っぱさとノスタルジーの激流に打ちのめされてしまいました。

上映が終わり、劇場を見渡すと、観客のほとんどが10代から20代の若い男女でした。普段は映画を観るような雰囲気ではない彼等の、興奮に満ちた表情。それがまるで、スプラッター映画において、呪われた村に近づくなという忠告を無視し殺されていく、あの無軌道な若者たちの表情と重なったのです。

この感動。やっぱり、ホラーは心の友ですね。

 

71点

 

映画評:【秘密の花園】誰もワタシを止められない。

 

小さい頃からお金が大好きな鈴木咲子は、学校を卒業すると銀行員に就職。しかし銀行強盗に襲われ、咲子は人質として車に詰め込まれてしまう。車は富士の樹海まで逃走したが横転事故を起こす。幸いにも一命をとりとめた咲子は、皆から祝福されるが、彼女の頭は一つのことで一杯だった。樹海の湖に取り残された、現金5億円の行方のことで……。

 

現金5億円を獲得するため日夜奮闘する姿を描く、ブラッコメディの傑作。樹海へ探検するために、地質を学ぶべくまずは専門の大学を受験しよう、という突飛すぎる主人公の発想が面白いですね。それから受験勉強をするためにアパートを借り始め、さらにフィジカル面でも、登山や湖の対策として、本格的なロッククライミングを始めたり、プールに通い詰めたりと、主人公の行動はアグレッシブを極めます。

このように飛躍しすぎた行動に出るという可笑しさがストーリーの肝ですが、僕が何よりもこの映画で魅力を感じるのは、主人公が常に一つの目標に向かって迷いなく前進しているということです。

大学で勉強するのは、単位のためでも、就職のためでも、ましてや趣味的な研究目的でもなく、実際に知識を活用するためであり、これこそが、もっとも学問に対する尊い姿勢ではないでしょうか。

彼女は両親や世間の目などまったく気にも留めず、ひたすらに自分の目的に熱中しています。一体、世の中に自分のやりたいことが明確にあり、それに向かって淀みなく邁進できている人はどれだけいるのでしょうか。彼女はとても人生を謳歌しているように感じました。他の登場人物たちも、主人公に感化されるようにして、自分のやりたいことや才能を見つけていくのがとても素晴らしい。

この作品は、ナンセンスに飛躍していく主人公の突拍子の無さをウリにしたコメディなのだけれど、その芯には人間の生きるエネルギーというか、躍動する人間の心地良い生活のリズム、熱量の爽快さが通っていると感じました。

 

75点